『写真のなかの江戸』を歩く 第14回 

写真の火の見櫓が『名所江戸百景』に描かれていた! 「赤坂の町並み」その14

細かい検証作業は前回で終わりにして、本書の【写真14】に戻りましょう。

歌川広重の代表作『名所江戸百景』の一枚に「赤坂桐畑雨中夕けい」があります。赤坂の溜池沿いにあった桐畑の雨の夕景が詩情豊かに表現された作品です。

手前の桐畑と溜池の奥に見えるのが赤坂門へ上る坂道、その背後の森が紀州藩上屋敷。『名所江戸百景』のうち、この絵にのみ「二世広重画」の署名があり、二代広重の作品とわかります。初代が没した翌年、安政6年(1859)に上梓されました(掲載図は国立国会図書館所蔵)。

現在、赤坂見附駅上のビックカメラ2階にあるサンマルクカフェに入ると、同様の俯瞰の眺望が得られます。写真のように、溜池は外堀通り(下)、遠景の赤坂門への坂道は青山通り(奥)、背景の紀州藩上屋敷は東京ガーデンテラス紀尾井町(青い高層ビル)に変わりました。「赤坂桐畑雨中夕けい」から160年後の江戸の姿です。

先日この絵を眺めていたところ、左端に火の見櫓を見つけました。半分ほどしか描かれていませんが、特徴的な形状から間違いありません。軒に下がっているのは半鐘でしょうか。これは、その位置から【写真14】に写っている自身番屋の火の見櫓と考えられます(181頁、バルーン11番)。

右の「市中取締続類集」[53](安政4年、1857、国立国会図書館所蔵、66、67コマを接合)の図は、「赤坂桐畑雨中夕けい」刊行の2年前に描かれたもの。よく見ると火の見櫓の下に屋根が2つ描かれていますが、手前の建物は図の床番屋とみられます。

図中に青矢印で絵の視線の方向を示しました。手前に桐畑(「桐木御植付場所」)、左手に自身番屋と床番屋があって、溜池越しに「赤坂御門」への坂道が描かれるという位置関係がわかると思います。

なお、赤坂桐畑は切絵図や「御府内往還其外沿革図書」などの地図史料には見えません。「桐木御植付場所」と記された「市中取締続類集」の図は、この絵の内容を裏付ける史料として、たいへん重要なものです。

(つづく)