『写真のなかの江戸』を歩く 第24回

24回 江戸の細道 「黒鍬谷」その2

 

写真15に見えるように、江戸期には円通寺に隣接して、専修寺(浄土宗)の門前町屋が並んでいました。平屋板葺の簡素な長屋です。本書の解説でも書いたとおり、こうした中小寺院の門前町屋が写った写真は、現在写真15以外に見出していません。なお、専修寺は明治期に桐ケ谷(現・品川区)に移転しました。

写真中央が専修寺門前(門前町屋)の跡地(右は円通寺)。前を下って行くのは円通寺坂です。写真15で同坂は画面右上から左へと下っています。

次に示すのは「町方書上」(国立国会図書館所蔵)の専修寺門前の部分。文政10年(1827)の記録です。

赤線部分(右)によれば、円通寺坂は「幅三間」(約5.5メートル)ですが、上の写真のように現状もほぼ変わっていません。

また赤線部分(左)には、「門前向(むかい)黒鍬者組屋敷間江下り候坂、巾(はば)七尺下り拾五間程有之候得共…」とあります。専修寺門前の向かいに、黒鍬組の組屋敷の間に下って行く「巾七尺」(約2.1メートル)の坂があるとのこと。これは下に示した最幕末の「江戸絵図1号」(国立国会図書館所蔵)で青○をつけた道で、写真15の左端に一部(北側の下った地点)が写っています。

この坂道(無名)は現存しており、幅も非常に狭い。そこで、実測してみると…。

なんと、道幅は現在でも約2.1メートル(約七尺)で変わっていません。赤坂の街なかに、江戸の細道がそのままの幅で残っているのです。

前回の予告のとおり、本ブログは今回をもって休止いたします。24回にわたる連載で、小著『写真のなかの江戸』掲載写真のうち、写真14と写真15の2点しか取り上げられませんでしたが、またいつか、残り18点の写真についても「ディープに掘り下げた」現場探訪記を再開できれば、と思っております。読者の皆様には、厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。