『写真のなかの江戸』を歩く 第3回 「赤坂の町並み」その3

【写真14】では、町並みの背景に樹林が横長に広がっています。紀州藩徳川家中屋敷(なかやしき)です。同屋敷の跡地が現在、東宮御所ほか皇族方のお住いがある赤坂御用地。その緑は弁慶堀の奥、マンションの右側にわずかに覗くだけとなりました(矢印)。

江戸図は例によって「江戸絵図1号」(国立国会図書館所蔵)。これで分かるように、ビルのない時代には、撮影地点から紀州藩中屋敷の全容を見渡すことができました。

前回述べたように、ガーデンテラス紀尾井町のほうは紀州藩の上屋敷(かみやしき)。このように同藩では、上と中の両屋敷が近接していましたが、藩主が住んでいたのは、敷地の広い現・赤坂御用地の中屋敷のほうでした。いま迎賓館(国宝)が建っている四谷寄りの台地上に藩主の住居(御殿)があり、その南側に「西園」と名付けられた回遊式庭園が広がっていました。毎年春と秋に園遊会が催される御用地内の赤坂御苑は、この紀州藩中屋敷の庭園を受け継いだものです。一昨日(25日)、オリンピックのメダリストらが招待された、今年の春の園遊会を伝えるニュースを見た方も多いことと思います。

さて、書籍では【写真14】解説の最初の見出しを「谷に広がる町」としました。これは正面に写っている赤坂伝馬町と左手の赤坂田町の立地を言い表しています。

ただ現状写真ではビルが建て込んでいて、なかなか地形がわかりにくい。やはり歩いてみるしかありません。

撮影地点から青山通りに戻ると、ちょうどいい具合に、赤坂見附の交差点を見下ろせる歩道橋があります。

その歩道橋の上から撮影。青山通りは赤坂見附の交差点(奥)へと下り、こんどは青山方面へと上って行きます。つまり、交差点は谷の底なのです。両側の台地をつなぐように、通過する車のための陸橋が渡されています。赤坂の町(町人地)はこの谷の部分につくられました。

(つづく)