『写真のなかの江戸』を歩く 第4回 「赤坂の町並み」その4

今回は地形について見ていきたいと思います。赤坂の町が広がる谷は、赤坂川(別名:鮫川)という川がつくったものです。

このデジタル標高地形図で、赤坂川の谷を遡ってみましょう。溜池方面から北上した谷は赤坂見附のところで西に方向転換、赤坂御用地(旧紀州藩中屋敷)の中を通り抜け、鹿の角状に枝分かれした上流部の最北端は、四谷三丁目交差点付近まで達しています。

御用地の中、園遊会が開かれる赤坂御苑の池があるのは、この谷の部分です。また、映画『君の名は。』の聖地として有名になった、四谷の須賀神社が谷の最上流部に位置しています。あの階段は、神社のある高台から赤坂川の谷に下りていくもの。意外にも、御用地によって隔てられた赤坂見附と四谷三丁目付近は、川がつくった谷地形で繋がっているのです。

赤坂見附で赤坂川の谷から分かれ、北に延びているのが支谷の清水谷(しみずだに)。その名は、明治11年、付近の路上で暗殺された大久保利通の巨大な哀悼碑(写真)が立つ清水谷公園で知られています。同公園もガーデンテラス紀尾井町と同じく、元は紀州藩上屋敷の敷地でした。

標高地形図によれば、江戸城の外堀である弁慶堀(青色)は、赤坂川本流の谷と清水谷に挟まれた台地を人工的に掘り抜いてつくられたこともわかります。

さて先日、この赤坂見附付近で、思いがけない江戸の「遺構」を発見しました。詳しくは次回、報告します。

(つづく)