赤坂門の遺構である石垣の北側は、バブル期の象徴、「赤プリ」こと赤坂プリンスホテルの跡地です。ここは近年再開発され、「東京ガーデンテラス紀尾井町」として生まれ変わりました。その真新しいガラス張りの建物の前に小さな広場があって、弁慶堀を見下ろせる縁(へり)の部分にはベンチが並んでいます。このあたりからの眺望が、【写真14】になります。
現状写真がこれ。書籍にも掲載したものです。明治初期の【写真14】は、弁慶堀の北側(右側)が写っていないので、撮影方向はもう少し南寄り(左寄り)でしょう。しかし、現状のほうは右側の高層ビル「ニューオータニガーデンコート」(茶色)も入れたかったので、このアングルで撮りました。
前回も掲載した幕末の江戸図「江戸絵図1号」(国立国会図書館所蔵)。ホテルニューオータニの敷地は、江戸時代は彦根藩井伊家中屋敷(なかやしき)。ガーデンテラス紀尾井町の敷地は、徳川御三家のひとつ紀州藩徳川家の上屋敷(かみやしき)でした。外堀である弁慶堀の内側には、こうした有力な大名の屋敷が並んでいたのです。ただし、当時は堀にかかる弁慶橋(写真中央右寄り)はありませんでした。赤坂側から井伊家の中屋敷に行くには、赤坂門を入って堀の北側に付けられた道を進みました。
赤坂見附を訪れるたびに、よくぞ弁慶堀が残っていてくれた、と思います。広い水面のおかげで、ニューオータニ側の緑が一層引き立って見えます。江戸のお堀と現代の高層ビル、首都高の対比も鮮やかです。
(つづく)