『写真のなかの江戸』を歩く 第10回 「赤坂の町並み」その10

現在の赤坂の繁華街は、青山通り南側の赤坂三丁目一帯に広がっています。そこはかつて赤坂田町、赤坂新町といった町人地でした。すなわち江戸以来の商業地です。

一方、北側の元赤坂一丁目は、今や鹿島建設本社ビルなどが並ぶオフィス街となりましたが、江戸期は同じく町人地でした。それが、【写真14】の正面に写る、赤坂表伝馬町一丁目などの町です(以下、町名から「赤坂」は外します)。

上は明治18年の「東京実測図」。街路や敷地割など、まだ江戸期の様相を色濃く残しています。

現在の青山通りを赤線で示しました(道幅はおおよそ)。このように、通りの北側、現・元赤坂一丁目にも南側と同様、短冊形(長方形)の敷地(町屋敷)が並んでいたことがわかります。ただし、明治になって、表伝馬町→表町、裏伝馬町→裏町、と町名が変わりました。

青山通りの原形は、大山道(おおやまみち、おおやまどう、180~181頁09番)。江戸期に多くの参詣客で賑わった相模の大山に向かう道です。赤坂から渋谷、三軒茶屋、二子の渡し、溝の口、長津田、厚木を通り、大山に達していました。経由地から明らかなように、今は国道246号線がこのルートを通っています。

さて、新旧の地図を重ねてみると、旧道である大山道は、青山通り南側の側道(陸橋南側の車線)に相当するようです(上の図参照)。

側道です。これが旧大山道。【写真14】でもわかるように、ここから青山方向に長い坂を上って行きます。田町一丁目(181頁14番)の北角(前掲地図の赤○印)は、写真左手のウェンディーズの位置になります。ということは、道を挟んで右手にあった表伝馬町一丁目(東側)の南角は陸橋の辺りでしょう。前回、外堀通り上となった北角について見ましたが、このように表伝馬町一丁目東側は、道路拡幅によって大部分が路上になってしまいました。

写真で左に入る細い道が、田町通り(エスプラナード赤坂通り)です。

田町通りを少し入ったところ。前掲地図に青○印で示したビックカメラ(赤坂見附駅出入口)の裏手(西側)を北方向から撮っています。通りの右側がかつての田町一丁目、左側(ビックカメラ)は玉川上水や大下水が通る、溜池沿いの空き地でした。溜池は現在、外堀通りの路面になっています。

(つづく)