『写真のなかの江戸』を歩く 第23回

赤坂黒鍬谷の現在 「黒鍬谷」その1

前回で本書の写真14「赤坂の町並み」に関する話は終わり、今回と次回の2回は写真15「黒鍬谷」の現場を訪ねます(本ブログは次回第24回で休止予定です)。

写真15は赤坂の黒鍬谷を北側の崖上から撮ったものです。撮影地点は現在の赤坂四丁目、山脇学園や赤坂ガーデンシティの近くになります。

 

 

上の切絵図の青○に「黒鍬谷」、その左下に「御黒鍬組」と見えます。ここは土木工事に携わる黒鍬組という御家人集団の居住地だったため、その名がありました。写真15のとおり、江戸期には彼らの住居である茅葺の家屋が並んでいました。

上は赤坂ガーデンシティ付近より、西から東に向かって黒鍬谷を撮影(切絵図の矢印方向)。Bizタワー(遠景中央)、TBS放送センター(右)などが並ぶあたりが、広島藩浅野家中屋敷の跡地です。高層ビルのほか、劇場や広場などが設けられた「赤坂サカス」として地形は大きく改変されましたが、元は台地上の広大な大名屋敷でした。一方、近景の黒鍬谷の部分は、昔は御家人の組屋敷ということもあって、敷地が細分化されており、現在でも戸建ての小規模住宅が残っていることがわかります。

上は写真15の右上に写る円通寺(日蓮宗)の現状。赤坂は全域が戦災で焼けてしまい、このお寺にも古い建物は見当たりません。ただ、鐘楼が表門の左にあるという配置だけは写真15と同じです。

(つづく)