『写真のなかの江戸』を歩く 第6回 「赤坂の町並み」その6

暗渠には愛好家・研究家が少なからずいるので、もちろんこの元赤坂一丁目の暗渠も新発見ではなく、すでにネット上で紹介されているものです(『東京暗渠学』の著者・本田創氏のブログ「東京の水」ほか)。けれども、「町方書上」に記された江戸の大下水との関係については、これまで十分に検討されていないように思われます。

さて、大型連休中のとある一日、暗渠の実測のため、元赤坂へ向かいました。赤坂見附の交差点から外堀通りに入ると、正面にALSOK(綜合警備保障)の本社ビルが見えますが、目的地はそのすぐ裏手に当たります。

車止めに「東京都下水道局」とあるので、今でもこの下には下水道が通っているのでしょう。突き当りに覗く緑は赤坂御用地のもの。つまり東側から撮影しています。地図によると、街区を横切るこの暗渠の長さは70メートルほどです。

近くに鹿島建設本社、住友電工東京本社など大企業のオフィスがあって、平日は賑わうこの界隈も、連休中ゆえ人通りはほとんどありません。人目を気にすることもなく、さっそく暗渠(細道)の幅をメジャーで実測します。

前回の画像のとおり「町方書上」によれば、大下水は「幅平均六尺」(6尺=182センチ)。対して、実測値はなんと185センチ(写真)。ほぼぴったりです。190年前の文政期の記録と、まさかここまで一致するとは思いませんでした。現状はもはや水路ではないのですが、かつての水路幅を保っている暗渠は立派な江戸の「遺構」と言って過言ではないでしょう。自分がいる現代のビル街と江戸の町が暗渠を介して繋がった気がして、不思議な感慨が湧いてきました。

今やオフィス街のビルの隙間を通り抜ける狭い路地ですが、かつてここには開渠の大下水が同じ幅でまっすぐ流れていました(写真奥が上流)。それはおそらく石組の水路で、両側は町屋敷の裏手ですから、せいぜい2階建ての下見板張りの木造家屋が並んでいたはずです。

現状写真を見ながら、往時の風景を想像してみてください。

(つづく)